【駄文】音質について語る
はっちのラジカセのFMアンテナが折れた際、はっちは再びラジカセを買った。
1万円という、ごく普通のラジカセである。
独身社会人パワーで、高音質のコンポを買うわけでもなく。
はっちはなぜ、今敢えてラジカセを買ったのか。
まず前提として、はっちは音楽を聞く際、音質に関してこだわりがある。
CDをリッピングする場合も、192kbpsと、圧縮率を低くして音質を上げている。
それでも、CDの音質と比べると、なんか圧縮された音だなと感じる。
それだけの耳を持っていながら、はっちはラジカセを買った。
いや、それだけの耳を持っているがゆえに、ラジカセを買ったといえばよいのか…。
コンポとか、高いオーディオ機器は、音源自体の音質が高くないと、いい音を出してくれないのである。
例えば、市販CDと、このCDをリッピングしてもう一度焼き直したCDを聞き比べてみる。
コンポで再生すると、市販CDはいい音で再生してくれるが、焼き直したCDは何だか焼き直したのが分かったような音質になってしまう。
一方ラジカセだとラジカセ自体の音がそれほど良い訳ではないので、その違いが分からない。
はっち自身、市販CDを買うことがほとんど無くなり、レンタル→リッピング→返却がメインになった。
そして、気に入ったアルバムまたは曲のみ、CDに焼いている。
一旦リッピングしたものを焼き直したCDは、コンポで聞くとそれほどいい音質にならないので、音源による音質の違いが出にくいラジカセを買ったのである。
一つの物にこだわりすぎると、他が見えなくなってしまう。
いい音質で聞きたいと思い、コンポだけに目を向けると、音源自体の音質という大元に目が向かなくなってしまう。
これは他にも言えることで、例えば美味いコーヒーが飲みたければ、豆よりも水にこだわった方がいい。
いくらいい豆を使っても、水道水を沸かしたお湯だったら意味ないですから!
逆にいえば美味しい水を使えば、ネスカフェのインスタントでも十分美味しい。
人間も、大元というか、素材が大事なんじゃないかな。
その人の雰囲気だけで判断しちゃうと、その人が持つ価値観とか、根っこの部分が見えなくなってしまう。
オチはない…。これはこれでオチつかないですね。
1万円という、ごく普通のラジカセである。
独身社会人パワーで、高音質のコンポを買うわけでもなく。
はっちはなぜ、今敢えてラジカセを買ったのか。
まず前提として、はっちは音楽を聞く際、音質に関してこだわりがある。
CDをリッピングする場合も、192kbpsと、圧縮率を低くして音質を上げている。
それでも、CDの音質と比べると、なんか圧縮された音だなと感じる。
それだけの耳を持っていながら、はっちはラジカセを買った。
いや、それだけの耳を持っているがゆえに、ラジカセを買ったといえばよいのか…。
コンポとか、高いオーディオ機器は、音源自体の音質が高くないと、いい音を出してくれないのである。
例えば、市販CDと、このCDをリッピングしてもう一度焼き直したCDを聞き比べてみる。
コンポで再生すると、市販CDはいい音で再生してくれるが、焼き直したCDは何だか焼き直したのが分かったような音質になってしまう。
一方ラジカセだとラジカセ自体の音がそれほど良い訳ではないので、その違いが分からない。
はっち自身、市販CDを買うことがほとんど無くなり、レンタル→リッピング→返却がメインになった。
そして、気に入ったアルバムまたは曲のみ、CDに焼いている。
一旦リッピングしたものを焼き直したCDは、コンポで聞くとそれほどいい音質にならないので、音源による音質の違いが出にくいラジカセを買ったのである。
一つの物にこだわりすぎると、他が見えなくなってしまう。
いい音質で聞きたいと思い、コンポだけに目を向けると、音源自体の音質という大元に目が向かなくなってしまう。
これは他にも言えることで、例えば美味いコーヒーが飲みたければ、豆よりも水にこだわった方がいい。
いくらいい豆を使っても、水道水を沸かしたお湯だったら意味ないですから!
逆にいえば美味しい水を使えば、ネスカフェのインスタントでも十分美味しい。
人間も、大元というか、素材が大事なんじゃないかな。
その人の雰囲気だけで判断しちゃうと、その人が持つ価値観とか、根っこの部分が見えなくなってしまう。
オチはない…。これはこれでオチつかないですね。